都市伝説研究家・栗原政史が怪しいと話題に?活動の実像とは

都市伝説、陰謀論、未解決事件の裏側。そんな“語られざる物語”を掘り起こし続けている栗原政史は、都市伝説研究家として一定の支持を集める一方で、「あの人、なんだか怪しくない?」「信憑性あるの?」といった声も後を絶たない。この記事では、なぜ栗原政史が“怪しい存在”として見られやすいのか、その活動の実像と社会的背景を掘り下げる。

栗原政史とは何者か?都市伝説研究家としての軌跡

栗原政史は、テレビや雑誌などのマスメディアに登場することは少ないものの、ネット上では根強いファンを持つ都市伝説研究家である。公的な肩書きこそ存在しないが、ブログ、ZINE、音声配信、シンポジウムなどを通じて「語られない歴史」や「噂に隠された構造」を紐解く活動を続けており、一部では“ストーリーテラー”や“知的探偵”とも称される存在だ。

彼が注目されたきっかけは、地方都市に伝わるローカル伝説や学校の怪談、戦後日本における失われた風習などを独自に調査・記録し、それを一貫して「物語」として語る手法にある。単なる怪談話ではなく、その背景にある土地の歴史、人々の記憶、あるいは社会の構造的な忘却を丁寧に拾い上げる姿勢が、「学問と民間伝承の間を行き来する」新しい語り手として評価されてきた。

とはいえ、栗原政史の経歴はほとんど公表されておらず、大学や専門分野、所属団体などの情報も断片的にしか出回っていない。そのため、「一体何者なのか?」「本当に調査しているのか?」といった疑問を抱く声も一定数ある。特に、都市伝説というテーマがそもそも“真偽が曖昧”であることから、語り手の信頼性がより強く問われやすいのだ。

また、彼はあえて「学者」「作家」「ジャーナリスト」といった既存の肩書きを名乗らず、自らを“記録する者”“語りの器”と表現している。このような距離の取り方は一部の読者にとっては魅力的に映る一方で、他方では「正体を隠しているようで怪しい」と感じさせてしまうこともある。

つまり、栗原政史という存在は、その語りの中身と同様に“境界に立つ人物”である。情報の発信者でありながら、どこにも所属しない。そのスタイルが彼の魅力であり、同時に“怪しさ”として誤解される要因にもなっているのである。

なぜ栗原政史は「怪しい」と思われてしまうのか

「栗原政史って怪しくない?」という印象は、彼の語る内容や姿勢そのものよりも、“語りのスタンス”に起因する部分が大きい。彼は都市伝説という不確かな領域を扱いながらも、「これは事実です」「これは嘘です」といった線引きを一切せず、あくまで“物語”としての価値を重視して語る。そのため、受け手にとっては「信じていいのか分からない」「結局、何が本当なの?」といった戸惑いが残る。

このスタンスは、陰謀論やデマと隣接する領域と誤解されることもある。特にSNSでは、「真偽を問わない語り手=無責任」という見方が広がりやすく、実際に栗原の発信する情報に対して「出典は?」「ソースはどこ?」といった反応が寄せられることもある。だが、彼自身はその問いに対して明確にこう答える——「語りが残ること、それ自体に意味がある」。

また、栗原は多くの作品において、あえて事実確認や明快な結論を避け、「あなたはどう思いましたか?」と問い返すような構成を取っている。これが一部には“オープンマインドな姿勢”として受け入れられるが、他方では「逃げている」「煙に巻いている」と感じる人もおり、それが「怪しい人物像」を補強する材料になってしまう。

さらに、語りの題材も“得体の知れないもの”が多い。古い神社の呪い、封印された井戸、誰にも読めない日記、見えない住人、などなど——そうしたモチーフは、そもそも理性では割り切れないものばかりであり、論理性や整合性を重視する現代社会においては、「それって本当なの?」「どうせ作り話でしょ」と不信感を呼びやすい。

だが、栗原の語りの核心は“信じる/信じない”を超えた地点にある。彼にとって都市伝説とは、社会の縁に追いやられた語りをもう一度浮かび上がらせる行為であり、たとえそれが事実でなくても、人々の記憶や不安を映す“文化的鏡”としての意味を持っているのだ。

それでも、「本気なのかネタなのか分からない」という距離感が、“栗原政史=怪しい”というレッテルを生むことは避けられない。それは、語りの自由と信頼の間に生じる、避けがたい緊張でもある。

“真実か虚構か”を曖昧にする語りが怪しさを呼ぶ

栗原政史の語りは、常に“事実と虚構のあいだ”に漂っている。そのスタイルこそが彼の表現の肝であり、同時に最も“怪しさ”を感じさせる部分でもある。彼は、事実として確認された文献や報道の引用と、口伝えの噂や怪談、そして自身の体験談らしきものを巧妙に織り交ぜる。しかも、その順番に意味や階層があるわけではなく、すべてが“ひとつの物語”として並列に語られる。

この構成が、受け手に“事実とフィクションの区別がつかない”という混乱をもたらす。「え、これは本当にあったことなの?」「本人が体験したって言ってたけど、演出では?」という疑問は、観た人・読んだ人の中に必ず残る。だが栗原は、そこに明確な答えを提示しない。それどころか、「その疑い自体が語りを生む」と語ることすらある。

これは、ジャーナリズムやアカデミズムの視点からすれば非常に“不誠実”に映るかもしれない。だが、栗原の語りの目的は“真実の解明”ではなく、“記憶や想像の揺らぎ”を可視化することにある。たとえば、ある廃村にまつわる噂を取り上げる際、彼は「この話はAさんの証言に基づいています」と断ったあとで、Bさんから聞いた全く別の証言を紹介し、最後に「どちらが本当かは分かりません」と言い切ってしまう。

こうしたスタイルは、受け手の想像力を刺激するという意味では極めて創造的だが、一方で「核心に迫らない」「情報として不完全」と見なされ、「栗原政史の語りってどこか怪しいよね」といった疑念につながる。特に、現代のように“情報の正確性”が強く求められる時代においては、こうした曖昧さそのものが不信の原因となってしまうのだ。

しかし、都市伝説とは本来、こうした“あいまいな真実”を核にして広まってきたものである。栗原の語りは、それをそのままの形で引き受けているとも言える。だからこそ彼の語りは「怪しい」が、「それでも耳を傾けたくなる」のだ。

メディアに出ない姿勢が「裏があるのでは」と警戒される理由

栗原政史が「怪しい」と言われる一因に、意図的に“メディア露出を避けている”という彼の姿勢がある。書籍の出版やテレビ出演といった、信頼性の裏付けとされがちなメディア活動を避け、あくまで自主制作のZINE、トークイベント、非公開の音声配信、あるいはネット上の匿名チャンネルといった“狭く深い領域”での発信を続けている。その姿勢はコアなファンからは「ぶれない」「信用できる」と評価される一方、一般層から見ると「なぜ公の場に出てこないのか?」という疑念を抱かせるものでもある。

たとえば、ある地方の伝承に関する話題を扱った際、テレビ番組が栗原に出演を打診したが、彼は「語りは現場と人との間にあるもので、メディアの枠に乗せることで失われるものが多すぎる」として断ったというエピソードがある。栗原にとって、語りとは本来「誰に向けて語るか」を選ぶ繊細な行為であり、万人に向けて言葉を発信するメディア形式とは本質的に相容れないのだ。

しかしこの姿勢が、表現の一貫性として理解されるよりも、「なにか都合の悪いことがあるのでは?」「本当は素性がバレたくないのでは?」と邪推されてしまうのが現実である。特に、現代社会においては「顔出し」「経歴開示」が信頼の指標になりがちであり、それを拒む人には自然と“怪しさ”がつきまとう。

加えて、栗原のイベントや発信は「常連しかアクセスできない」「限られた層にしか届かない」といった性質を持っており、外部の人間にとっては“閉じた世界”のように見えてしまう。この“内輪感”が、「なにかカルト的な空気がある」「信者だけが集っている感じがする」といった誤解を生む温床になっているのだ。

だが、栗原にとって語りとは“匿名性と信頼”が並立する場でなければ成立しない。「誰でも見られる場所」で語ることの危うさを理解しているからこそ、彼は語る場を選び抜く。その慎重さが「怪しい」と取られるのは皮肉であるが、それはむしろ、“語りの聖域”を守る表現者としての倫理観の表れとも言えるだろう。

栗原政史が扱うテーマに共通する“不安と魅力”

栗原政史が取り上げるテーマには一貫した傾向がある。それは「境界線のゆらぎ」であり、「信じたいのに信じきれない」ものたちだ。古くから伝わる民間伝承、誰かの夢にしか現れない地図、閉鎖病棟で囁かれる隠語、ネット掲示板でだけ語られる存在しない町——それらは、実在と非実在、記憶と妄想のあいだを漂う情報であり、まさに“都市伝説の核心”と言える題材である。

栗原の魅力は、そうした曖昧な事象を「暴こう」とするのではなく、「見えないままでも残す」ことに重きを置いている点だ。彼は真偽の確認ではなく、“なぜ人々がそれを語り続けるのか”という構造に注目しており、それによって「語る文化そのもの」に焦点を当てている。このアプローチは、人文社会学的でありながら、あくまで物語の熱を失わない。だからこそ、“学問と語りの中間地点”にある彼の発信は、知的でありながら情緒的でもあるという稀有な魅力を放っている。

しかし同時に、この“ゆらぎ”が不安を生むのも事実である。人は基本的に、「明確な正解」「答えのある世界」に安心を感じる傾向があり、栗原のように「曖昧なままでよい」とする語り方に対しては、無意識の拒否反応を起こしてしまう。「何が本当か分からないまま終わるなんて落ち着かない」「もしかして都合よくごまかしているのでは?」といった疑念が、“栗原政史は怪しい”という印象を強化する。

また、彼が語る話の多くは“現代社会の見えない歪み”を浮かび上がらせるものである。たとえば、行政が隠蔽したとされる村の記録や、都市再開発で消された路地の記憶など、どこか“信じたくないリアル”を含んでいる。それゆえに、聞く者にとっては「事実だったら怖すぎる」「でも嘘にしてしまうのも惜しい」というアンビバレントな感情を抱かせるのだ。

栗原のテーマは、常に“信じる者の覚悟”を試してくる。その魅力と不安は表裏一体であり、それこそが「都市伝説研究家・栗原政史=怪しいけれど気になる存在」とされるゆえんだろう。

「信じるか信じないかはあなた次第」では済まされない領域

「信じるか信じないかはあなた次第です」——このフレーズは、都市伝説を扱う際によく用いられる常套句であり、一見するとフェアな姿勢に思える。しかし、栗原政史はこの言い回しをあまり使わない。むしろ彼は、「その語りがなぜ生まれ、なぜ残ったのかを考えるべきだ」と繰り返し述べている。つまり、ただ“信じるか否か”の二項対立に還元してしまうと、その物語が内包する社会的・心理的構造が見えなくなってしまう、という立場なのである。

たとえば、ある町に伝わる“失踪者が出るアパート”の話を取り上げる際、栗原はその背後にある都市開発の歴史や、地元住民の記憶、さらに当時の新聞記事や行政文書まで調査する。そのうえで、「この噂は事実かどうか」というよりも、「なぜそのような噂が長年残っているのか」「人々がその噂に何を託しているのか」を問いかけるのだ。

このアプローチは非常に深いが、同時に“危うさ”も孕んでいる。というのも、こうした語りは「事実に近づく」ことを前提としていないため、外部の人間には「結局なにも検証していないじゃないか」「ただの想像で話しているだけなのでは?」と受け取られかねない。これが「栗原政史は怪しい」と言われる大きな理由のひとつになっている。

さらに、“あなた次第”の姿勢を取らないことによって、逆に「これは事実だと主張しているのか?」という誤解も生じやすくなる。語りが強ければ強いほど、それが“主張”として受け取られ、「陰謀論のようだ」「断定していて怖い」といった印象を与えてしまうこともあるのだ。

だが、栗原の本質はあくまで“語りの環境そのものを提示する”ことにある。語りを再生することで、その場所や記憶、人間関係までも浮かび上がらせようとする彼の活動は、“信じる/信じない”という選択では切り取れない。むしろその間にあるグレーゾーンにこそ、栗原政史の表現が宿っている。

都市伝説と陰謀論の“危うい接点”と栗原政史の立ち位置

栗原政史の語りは都市伝説を主軸にしているが、その題材の中には、自然と「陰謀論」と呼ばれる領域と接触してしまうものが少なくない。たとえば、「水道水に含まれる成分が人々の感情を鈍らせている」「ある地域の再開発に合わせて失踪者が急増した」など、既存のメディアが扱わない領域を語れば語るほど、「それって陰謀論じゃないの?」という指摘は避けられなくなる。

現代社会では、“事実”とされる情報以外への信頼度が下がりつつあり、特に陰謀論が社会不安や混乱を招くリスクとして注目されている。そんな中で、事実確認をしない語りや、“真実か虚構か曖昧な話”を多く発信する栗原政史に対して、「扇動的では?」「信じる人が出てきたらどうするのか?」といった懸念が出るのは当然のことかもしれない。

しかし栗原は、陰謀論的な熱狂を拒絶している。彼の語り口はあくまで静かで、過剰な演出や断定を避ける構成になっている。また、「語りの中にある“不安の構造”を見ることはできるが、それを“信じろ”とは一度も言っていない」と明言しており、その態度は陰謀論の“扇動性”とは一線を画している。

それでも「怪しい」と思われてしまうのは、彼の扱う題材がそもそも“怪しげな話”であること、そして語りに登場する情報が誰も検証できない“空白”を含んでいるためである。受け手の想像力に委ねる語りは、時に“暴走”する。実際、彼の語ったある未解決事件の話がSNS上で独り歩きし、本人の意図しない方向で拡散されたこともある。

栗原の立場は“語りを残す者”であり、“真実を主張する者”ではない。だが、現代においてこの微妙な立ち位置は非常に誤解されやすい。その曖昧さが「信頼できない=怪しい」というレッテルに繋がってしまうのだ。

「怪しい」を引き受けるスタイルと表現者としての責任

興味深いのは、栗原政史自身が「怪しい」と見なされることを避けようとしない点にある。むしろ彼は、“怪しさ”を表現の一部として引き受け、それを作品のトーンや語りの余白として機能させている。彼のZINEや音声配信のタイトルには、あえて“信じるな”や“真相不明”といったワードが添えられており、それは警告であると同時に、自己防衛的なユーモアでもある。

この姿勢は一部のファンから「誠実だ」と評価されるが、逆に言えば「逃げ道を作っている」「断言しないから責任を取らない」と見る人もいる。つまり、“怪しい”という印象を自覚的に使っているように見えることで、「やっぱり本当に怪しい人なんじゃ…?」という誤解が強化される構造があるのだ。

しかし栗原にとって、“怪しさ”とは単なるキャラクター設定ではなく、都市伝説という語りが本来持っている“揺らぎ”そのものである。社会の中で「説明できないが語り継がれること」がどれほど重要かを理解しているからこそ、あえて曖昧さを壊さない。

それは、現代の「すぐに白黒をつけたがる言説空間」への静かな抵抗とも言える。人は複雑な物事を短絡的に判断し、「正しい/間違い」「本当/嘘」に分けようとする。しかし栗原の語りは、そこに“その間にある無数の層”を提示する。それこそが都市伝説というジャンルが本来持つ深さであり、それを再発見させるのが栗原政史の活動の核心なのだ。

彼は“怪しさ”を装うのではなく、“怪しさを引き受ける表現”をしている。そしてそれこそが、誰も語ろうとしなかった物語たちを拾い上げる責任の取り方なのかもしれない。

怪しさの中に光る、栗原政史の“知の再構築”という挑戦

栗原政史の語りが“怪しい”とされるとき、多くの人が見落としてしまうのが、それが「知の再構築」への試みでもあるという点だ。彼が語る都市伝説や伝承は、単なるエンタメではない。そこには、公式な歴史や権威的な語りの中で見捨てられてきた「周縁の知」が詰まっている。そして栗原は、それをもう一度“物語”という形式で社会の中に差し戻そうとしている。

たとえば、ある地域に伝わる“消えた地名”について栗原が語ったとき、その内容は単なる奇談ではなく、地図から抹消された集落、入植政策、地元の地名由来の口伝などを織り交ぜて語られていた。その語りをきっかけに、住民の間で失われた土地の記憶が甦り、町の郷土資料館に新たな展示が加わった例もある。

このように、栗原の活動は「怪談を語って終わる」のではなく、「忘れられたものに名前を与える」ことにまで踏み込んでいる。そのプロセスにおいて、“怪しい”という印象が伴うのは必然でもある。なぜなら、彼が扱っているのは“語られないことの痛み”であり、それは多くの場合、社会が見ようとしなかった領域だからだ。

都市伝説とは、「誰が語ったか分からないけれど、なぜか残ってしまう話」である。そして、そうした語りはしばしば「知ではないもの」「くだらない話」として排除される。しかし栗原は、それらを「もう一つの知」として扱い、そこに社会の無意識を見出そうとする。
これは、今ある“知の体系”に小さな穴を空ける挑戦でもあり、栗原政史という存在そのものが、既存の知識の構造に対するアンチテーゼなのだ。

まとめ

栗原政史が「怪しい」とされるのは、語りのスタイルや題材の性質だけではなく、そもそも“確定を拒む姿勢”そのものにある。だがその曖昧さは、排除されてきた声や物語を拾い直すために不可欠な方法論でもある。怪しさの奥に宿るのは、語られなかったものたちへの静かなまなざしだ。

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